第5回 メンバーに直撃インタビュー!!



第5回は『2001年をふりかえって何でも語って下さい!』です。
はじめに言っておきますが、メンバーから届いた”そのままの声”を載せていますので…。




◇ポール・まっちゃんトニーさん◇


「2001年を振り返って」ですね。はい、それではいってみよー!!

ズバリ!!!「ベストメンバーが揃った事」、これです!!
2001年、ボクにとって重大な出来事といえば、これに尽きます。
サマー、レノ助、そして武スン。今となってはもう彼ら以外、 考えられませんねぇ。ベストメンバーだと思います。
やっと揃ったっていう感じですね。ここまで来るのに10年かかりましたよ。 長かったねぇ〜。長かっただけに誰一人決して失いたくないですね。
♪ボクたちは〜いつまで〜も〜仲間さぁ〜ぁ〜♪

バンドという枠を外しても、気の合う仲間だと思います。 ケンカなんかも今まで一度もしたことありませんしね。 いつも仲良し四人組なんですね〜。
ただね、レノ助の前で「さやかちゃんのブス〜」なんて口走ったら たちまち取っ組み合いの大ゲンカになります。 武スン、試しに言ってみて。ボク、よー言いませんっ!

というわけで、今年2002年もこのステキな仲間たちと一緒に 「THE SELTAEB」で楽しみたいと思っております。



◇ジョージ・武スンさん◇


みんなに騙され気がつけばメンバーにされ、気がつくと「あんだんて」や「アポロ」のステージでギターを弾いて歌っていました。
そして、学生時代に持っていた“ビートル熱”が一気に沸騰してしまい、もうあとには引けない状態にされてしまいました。どーしてくれるんでしょ〜。っといった感じの年でしたね。
そして来年はですね、さらなる“ビートル・サウンド”の追求と見て聞いて楽しいバンドにする為の努力を惜しみなく頑張りたいと思うしだいです。
そう、“全身あるのみ”です、我ら『THE SELTAEB』は・・・・。



◇ジョン・レノ助さん◇


「2001年をふりかえって」 3年B組 山本 レノすけ
ぼくは、2001年がとってもいい年だったと思います。
なぜかというと、たくさん友達ができたからです。ぼくが、かってに友達だと思いこんでいる人もいるかもしれませんが、それでもいいと思います。うれしかったです。
2001年の間で、いちばん思い出にのこっていることは、たけスンがバンドに入ってくれたことです。
ぼくが、たけスンに、「バンドに入らないか。」って、さそった時はとてもきんちょうしました。
なぜかというと、たけスンはとてもいい人なので、おねがいしたらぜったいことわらないことをぼくわ知っていたからです。 そして、ぼくが考えていたとおり、たけスンはバンドに入ってくれました。 でもぼくは、たけスンをきょうはくしていません。すこし、追いこみかけただけです。
そして、名古屋にあるアポロシアターというところで、ライブをやりました。 とてもきんちょうしましたが、たけスンに追いこみかけた時のことにくらべれば、 あまりきんちょうしませんでした。 でも、とても汗をかきました。サウナに入った時みたいでした。
今、ぼくは、バンドがいつの間にか少し大きくなっていることに少しびっくりして います。 三重県でもめだたないバンドだったのに、しらないうちに 少し有名になっちゃったみたいな気がします。
これからも、がんばりたいと、思います。
ヨーコさんも、ぼくたちのバンドを、いつまでもおうえんしてください。よろしくおねがいします。

--- スミマセン、フザケるのはやめにして、と…。

「2001年を振り返って」 レノすけ
はい、とても良い年でしたね。
バンドを通してとても沢山の人と仲良くなれました。顔を見たこともない人からメールを戴いたり、さらには ライブを聴きに来て下さったりと、ホームページ効果がかなりある事を無視することはできません。 まったくネットの力というものは凄いモノがありますね。
それにしてもボクらを応援して下さった皆様には大変お世話になりました。 この場をお借りして御礼申し上げます。

昨年は本当に良い1年でしたが、SELTAEBにとって一番の収穫は何といっても 「たけスン加入」これに尽きると思います。
彼が加入してからボクらは信じられない程の進化を遂げたのです。 まったくもって救世主とはまさしく彼のことです。 彼の加入によって、バンドの全てがいい方向に向かって行った、ということは 疑いようがありません。
昼夜交替勤務という厳しい条件の中、名古屋から三重県まで 毎回練習に駆けつけてくれるわ、何を血迷ったか立て続けに グレッチ、リッケンと2本もギターを購入するわ、もう彼には感謝、 これ以外ありません。 よく考えると無理矢理バンドに引きずり込んだような部分も少々ありますが、 ま、結果オーライ、です。
それにしてもボクらがたけスンと共に活動できるのも、奥様(オリヴィアさん)の 暖かいご理解があったればこそです。本当にありがとう。 これからもお世話かけます、オリヴィアさん。

そしてアポロシアター公演。凄かったですね。
名古屋でSELTAEB、文字通りブレイク(死語?)した年でした。
出場するにはそりゃもの凄い決意が必要でしたよ、なんせあのアポロですもん。 人間、思い切って前進することにより道が開けていくのだと確信しました。 そしていつの間にかちょこっとだけ有名になってしまったような気もします。
このバンドが今年はどんな発展をするのか、今から楽しみです。 しかしいつの時も謙虚な気持ちは無くさないようにします。 常に原点に立ち返れるバンドであり続けます。 たけスンによるとボクらは「全身あるのみ」だそうですが (全身ってアナタ、タイツじゃないんだから)、 ボク的には「原点を忘れず前進あるのみ」です。これで行きます。

さて今年、2002年の抱負ですが、いろんな野望も持ってます。
そろそろマスコミにも登場しちゃったりなんかして…
まずはローカルなCATVなんかに…
いやラジオ局から攻めるなんてのも…
やっぱ基本は新聞の地方版か?…おっとっとこの辺にしときましょか。

ではヨーコさん、今年もお世話になります。どうぞヨロシク。



◇リンゴ・サマーさん◇


(届き次第公開します。)






どうもヨーコです。
わたくしも2001年をふりかえってみようと思います。
10月に東京ディズニーシーへ行けたのはラッキーでした!!また行くぞ〜!
しかーし、そんな楽しいことも忘れるくらいの最悪のお正月。事の発端は上の前歯がちょっと痛いと思うようになった2000年の年末でした。
ところが、1月2日深夜というか1月3日の早朝というか、上の前歯がとってもとっても痛く目が覚め、市販の鎮痛剤を何回も飲みましたが全く効かず、その日の夜、とうとう熱が出てしまいました。
そして1月4日の朝、ナッ、ナント鼻の下から上唇まで腫れとても痛く熱もありました。おまけに歯が痛いのでご飯も食べられない最悪状態でした…。
とにかく、原因が分からなかったので内科へ行き診てもらったら、 「風邪ではありません。耳鼻科か歯医者へ行った方が良いです。」と言われ帰ってき ました。
家(実家)へ戻り、いつも通院している歯医者へ電話しましたが、もちろん休みでし た。両親とレノ助は電話帳で開いている耳鼻科と歯医者を探し、やっと1件耳鼻科が見つかり診てもらうと、「この熱と腫れは歯が原因です。」と内科と同じことを言われてしまいました。でもこの病院では痛み止めを出してもらえたのでわたくしはとっても助かった、2日ぶりに眠ることが出来ました。
1月5日。鏡を見るとわたくしの顔はさらに腫れ、(みんなに”ムーミン”などと呼ばれ悲 しかった…)やっと歯医者へ行くことができ原因を知ることができました。 痛いと言っていた前歯の神経が何らかの原因で死んで、歯根の所に膿がたまり炎症を 起こして、顔が腫れ熱が出た、と言うことでした。 その日に少し膿を出してもらい、腫れもひき始めていましたが、歯グキに小豆大位の 膿の袋ができて、1月6日の昼に自然につぶれ、口の中がとても気持ち悪かった・・・・。
2001年はこれで始まったので他の事は思い出せません!!

ここ数年の年末年始は、わたくしは手術&入院に胃腸かぜ、レノ助は大晦日にインフルエンザにかかり病院へ行き…などなど、平凡に迎えた記憶がないのですが2001年は本当に過去最悪のお正月でした…。心から普通の年末年始を体験したーい!!と思っています。

ここまで一生懸命読んでいただいたあなた、長かったでしょう。これに懲りずにまた訪れてくださいね!
もしあなたがメンバーに聞いてみたいことがあったらメールで送って下さい。お待ちしています!



ヨーコの部屋TOPへ戻る 直撃インタビュー目次へ戻る ヨーコにメールを送る